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 エッセイ・NO.4 「『月刊・セーノ!』に載りました」(2008.8.2)


 大分合同新聞社・おおいたインフォメーションハウス発行の『月刊・セーノ!』(2008 9月号)
の、≪ものづくりスケッチ[職人編]の取材を受け、私のことが記事になりました。

 取材に来られて、絵と文を書かれたのは、大分美術研究所・主宰の二宮圭一さん。見出しに、
大きな文字で「清貧寺の絶滅危惧種 筆工 御堂順暁<楽々堂>」とあります。曰く言い難い大胆
な表現をされました。

           
  
 二宮さんは、偶然にも同じ山香町出身で、高校の後輩でもありました。また、何事にも深く興味を
示される方で、筆作りを見るのは初めてらしく、実演と話で5時間くらいの長い取材となりました。
長時間の多岐にわたる話だったので、文章にするには大変だったことでしょう。

 前もって、送られてきた原稿を読んで、女房曰く「いままで何度となく取材を受けて文章を書かれ
たが、一番良く筆者の人柄が出て、まとまっている」と感心していました。手直しするところはほとん
どありませんでした。

 前半の文章は、筆作りの実演を、順を追いながらの記述ですが、その部分は省き、後半をそのま
ま引用して紹介させてもらいます。(もし、よろしかったら雑誌をお求めになって全部読んで下さい)

        製筆工程は写真をクリックすると見ることができます。
          
    
「 ・・・・・・略・・・・・・・

 筆作りの工程を見せてくれた御堂さんが、再び籐椅子にかけた。御堂さんの工房『楽々堂』は、
木造の山荘のような建物で、その中は職人の作業場と言うより、居心地の良い書斎のような雰囲
気だ。棚には本が並び、カーペットの上に黒猫が2匹、ソファーにはトラ模様の大きな猫が悠然
と寝そべっている。

 御堂さんに最高の筆とはどんなものかを尋ねた。「・・・どれが一番というのは無い、使う人が
どんな字を書きたいかによるから」と御堂さんは一瞬だけ考えて答えた。『楽々堂』は御堂さんの
工房であり、いわば店でもある。御堂さんが作った大小各種の筆が展示されており、数十万円
するものもあるが、原毛の希少性によって値段が上がるだけのことであって、安いものでも作る
手間は変わらないという。「むしろ安い筆ほど技術の差が出るわけで・・・安い筆ほど初心者が
使うんよ、だから責任があるんよ、高いのじゃなくていいけど、ちゃんとした筆を使ってほしいなあ、
僕のじゃなくていいから・・・小学生が習字を嫌いになってほしくないからね」と御堂さんは笑った。

 工房の大きな窓からは眼下に里の風景が見わたせる。夏の稲が彩った濃い緑色の田んぼが
広がり小川が流れ、その向こうには、こんもりした山々が見える。御堂さんがここに帰ってきて
20年が過ぎた。工房の隣に母屋があり、その隣に本堂がある。御堂さんは、この地に代々続く
浄土真宗・願教寺の住職でもある。

       
         山に登る日だったので早起きしたら、きれいな朝焼けに出会いました。
           工房前から南に向かって写しました。   (08.7.30  5:22写)


 御堂さんは寺を継ぐことを決心した若いころ、田舎の寺の住職としてあるべき姿を真剣に考え
たのだろうと思う。進学した龍谷大学では、哲学科の宗教哲学を専攻した。

 そこで宗教哲学者の柳宗悦氏の書物に触れ、次第に氏のもう一つの顔である民芸運動家とし
ての思想にも興味を持つようになった。庶民の生活の中から生まれた道具類に無垢な美しさを
見出し、その価値を説く柳氏の思想に共鳴して御堂さんは職人になろうと決心をする。

 大学院生の時、奈良の筆匠・大田研精氏に出会った。弟子入りを申し出ると、暮らしが成り立
たないからやめといた方がいいと諭されたが、師匠にとって10年ぶりの弟子となった。3年間
修業した後、友禅染の職人をしていた妻のかずみさんの実家で『楽々堂』を開業した。そして、
20年前、跡を継ぐために家族を連れて故郷の山香町に帰ってきた。

 御堂さんは、現在、おそらく日本一の筆職人である。しかし、御堂さん自身がそうなりたいと
思ったことはないだろう。ただ、嘘のない仕事を続けてきただけなのだ。御堂さんは、門徒三十
戸足らずの小さな寺を継ぐと決心した時、門徒衆が田を耕すように、自らも同じように働くことを
目指したのだと思う。

 昨今、筆作りは分業化が進み、御堂さんのように最初から最後まで筆を作る職人は減ってい
る。その中でも御堂さんは最若手だという。正統な筆作りを受け継ぐ次の世代の見込みはない。
絶滅危惧種と知ってか知らずか、この日は宇佐から、老夫婦が、孫のためにと筆を求めてやって
きた。 
 ・・・・・・略・・・・・・」     (改行は読みやすいように多めにしました)

           
         二宮圭一さん(中央)と筆のお客さん

 「プロフィール」や「エッセイ・NO.1 ページ開設のご挨拶」で、私の筆職人としての経歴を、
自分自身で少し書きましたが、今回、二宮さんがこのような文章にまとめて下さったので、長く
なりましたが、あえてここに引用して掲載しました。

 前もって原稿を読んだとき、「日本一」と書かれていたので、カットしてもらおうかと思いました
が、二宮さんがそう感じたのであれば、それはそれとして、私がとやかくいう問題でないと思い直し、
そのままにしてもらいました。

 後輩にエールを送られたような気がしますので、期待に添うよう面白い筆を作り、また、連日の
酷暑を乗り切る糧にしたいと思っています。


 p.s. このページを書き終わり、女房に検閲してもらった時、文章の最後の「面白い筆」の部分
    を「楽しい筆」の方が良かったかと意見を求めたら、即座に「儲かる筆」にしたらといわ
    れました。・・・・。

 p.s.(2) 2009年4月より、御堂家の二男、御堂尚輝が筆職人の道を
      歩きはじめました。


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